映画「SAINT LAURENT/サンローラン」2015年

12月4日(金)TOHOシネマズ シャンテほか全国順次ロードショー

1967年パリ。モードの帝王が見た、天国と地獄――。
絢爛豪華な映像美で魅せる、愛と欲望の10年間。

時代が創った、美しき怪物

監督:ベルトラン・ボネロ『メゾン ある娼館の記憶』

ギャスパー・ウリエル ジェレミー・レニエ ルイ・ガレル レア・セドゥ ヘルムート・バーガー

INTRODUCTION


1970年代半ば、世界で最も有名なデザイナーの〈死亡説〉が流れた。〈モードの帝王〉としてファッション界に君臨していた、イヴ・サンローランだ。以前から失踪説や重病説、もっとスキャンダラスな噂も度々流れ、人々の前から姿を消したイヴに、一流の新聞社までが死亡記事の見出しを考えていたという。まだ若く絶頂期だったはずの彼に何があったのか──そこには、華麗な成功の裏に隠された、命を削るほどの創造の苦しみとスランプ、心を打ち砕くほどの激しい愛の葛藤があった。公では語れなかった〈真実〉に迫るために、“モンドリアン・ルック”や“ポップアート”コレクションで大ブレイクした後の激動の10年間を描く衝撃作が、遂に日本に登場する。

イヴ・サンローランに扮するのは、『ロング・エンゲージメント』でセザール賞有望若手男優賞を受賞して華々しい脚光を浴び、『ハンニバル・ライジング』でハリウッドに進出したギャスパー・ウリエル。常人には見えないヴィジョンを捉える瞳を持つ「美しき怪物」に完璧に変身し、フェロモンたっぷりに熱演した。ルル役には『アデル、ブルーは熱い色』でカンヌ国際映画祭史上初の女優としてパルム・ドールを受賞、『美女と野獣』の大ヒットも記憶に新しいレア・セドゥ。また、1989年のイヴを、名匠ヴィスコンティに愛され、『ルードウィヒ/神々の黄昏』などに主演、近年では『パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト』で印象を残したヘルムート・バーガーが演じる。

  監督は、『メゾン ある娼館の秘密』のベルトラン・ボネロ。同時期に製作されたもう1本のサンローラン映画とは、テーマも撮り方も全く違うと胸を張る彼は、サンローラン・スタイルのクリアだが艶と奥行きもある独特の色合いを再現するために全編を35mmで撮影。また、光にこだわったコレクションやナイトクラブ、モンドリアン調のカット割りを施したシーンなど、アートとして楽しめる映像を創り上げた。

果たして、伝説の名のもとに握りつぶされてきた、〈知られざるサンローラン〉その衝撃の秘密とは──?

STORY

1967年、パリ。カトリーヌ・ドヌーヴの衣装の次は、マルグリット・デュラス作の舞台衣装、秋冬コレクションのデザインを終えれば、12月のプレタポルテ、そしてオートクチュールの春夏ものデザイン──イヴ・サンローラン(ギャスパー・ウリエル)の過密スケジュールは、果てしなく続いていた。

 1968年、アンディ・ウォーホルからコレクションを称える手紙が届くが、イヴにとってはもう過去のことだ。新作のデザインが進んでいるか“監視”する公私共にパートナーのピエール・ベルジェ(ジェレミー・レニエ)の目を逃れ、モデルのベティ・カトルー(エイメリン・バラデ)とクラブに繰り出すのが、イヴの唯一の息抜きだった。

 1971年、コレクションは大成功、ピエールは世界中にサンローランの店をオープンさせる。パリの街を「醜くなった」と嘆くイヴは、「次のコレクションは何か新しいことをしたい」と、インスピレーションを求めて、モロッコへと旅立つ。

ところが、帰国して開いた新作コレクションは物議を醸す。モダンの先頭を走って来たイヴが、40年代に触発されたオートクチュールを発表したからだ。批判にさらされたイヴは荒れるが、さらに世間を挑発するかのように、初の男性用香水の広告のためにヌードになる。

 1972年、オートクチュールの売上はガタ落ち。しかし、常に“新しい”ものだけを生み出そうとする重圧からイヴの感性は限界を超え、アイデアが全く浮かばない日々が続く。そんな時イヴは、ジャック・ド・バシェール(ルイ・ガレル)と出会い、その退廃的な美しさにひと目で心を奪われる。

 1973年、カール・ラガーフェルドの愛人でもあるジャックに自ら引きずり込まれていくイヴ。 1974年、イヴの命にかかわるアクシデントが起き、激怒したピエールに脅されたジャックはイヴの前から姿を消す。 1976年、ショーを目前にして1点のデザインも描けないイヴは、遂に人々の前から姿を消すのだが──。

CAST PROFILE

YVES SAINT LAURENT.............GASPARD ULLIEL
イブ・サンローラン/ギャスパー・ウリエル
PIERRE BERGE...............................JEREMIE RENIER
ピエール・ベルジェ/ジェレニー・レニエ
JACQUES DE BASCHER.............LOUIS GARREL
ジャック・ド・バシャール/ルイ・ガレル
LOULOU DE LA FALAISE............LEA SEYDOUX
ルル・ドゥ・ラファレーズ/レア・セドゥ
ANNE MARIE MUNOZ...................AMIRA CASAR
アニー・マリー・ムニョス/アミーラ・カサル
BETTY CATROUX..................AYMELINE VALADE
ベティー・カトル/エイメリン・バラデ
MONSIEUR JEAN-PIERRE..........MICHA LESCOT
ムッシュ・ジャン・ピエール/ミシャ・レスコー
YVES SAINT LAURENT 1989......HELMUT BERGER
イブ・サンローラン1989年/ヘルムート・バーガー
MME DUZER....................VALERIA BRUNI-TEDESCHI
ドゥーザー夫人/ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ
RENEE............................VALERIE DONZELLI
ルネ/ヴァレリー・ドンゼッリ
TALITHA .........................ASMINE TRINCA
タリタ/ジャスミン・トリンカ
LUCIENNE.......................DOMINIQUE SANDA
リュシエンヌ(サンローランの母)/ドミニク・サンダ

1984年11月25日、フランス、ブローニュ=ビランクール生まれ。
父はスタイリスト、一方の母もファッションショーのプロデューサ-として活躍。12歳の頃からテレビを中心に俳優としての経験を積む。高校卒業後はパリのサン・ドニ大学で映画学科を専攻し、本格的なスクリーン・デビューは01年の『ジェヴォーダンの獣』。この時は小さな役に過ぎなかったが、それが名匠アンドレ・テシネ監督の目に留まり、彼が手がけた戦争ドラマ『かげろう』(03)でヒロイン、エマニュエル・ベアールの相手役に大抜擢される。この作品で鮮烈な印象を残したウリエルは、一躍フランス期待の新星として大きな注目を集めるようになる。続いて世界的大ヒット作『アメリ』(01)の監督・主演コンビが手がけた話題作『ロング・エンゲージメント』(04)で準主役に起用され、作品のヒットと共にウリエルの知名度も世界的なものとなる。そして07年、トマス・ハリス原作“ハンニバル”シリーズ最新作として大きな注目を集めたサスペンス大作『ハンニバル・ライジング』(07)に主演、それまで名優アンソニー・ホプキンスが演じてきたレクター博士の青年時代という大役を見事に演じきり、映画の都ハリウッドにもその大きな第一歩を記すことに成功する。そのほかの出演作に、『かげろう』(03)、『インサイドゲーム』(09)など。今後のさらなる活躍が期待されるフランスの若手実力派俳優。

1981年1月6日、ベルギー、ブリュッセル生まれ。
10歳で、ベルギー・ルクセンブルク合作のオムニバス「七つの大罪」に出演。その翌年、ベルギー・スイス合作のテレビ映画「英雄達のメロディ」に出演。舞台では、モンス王立劇場で「ピノキオ」役を演じる。ジェレミーの名が知れわたったのは96年のダルデンヌ作品『イゴールの約束』で主役の少年イゴールをわずか14歳で演じた時だった。その後、99年にはフランソワ・オゾン監督の『クリミナル・ラヴァーズ』、01年にはクリストフ・ガンツ監督の『ジェヴォーダンの獣』と話題作への出演が続き、03年、ジャン=マルク・ムトゥ監督の『ワーク・ハード、プレイ・ハード』ではセザール賞有望新人男優賞にノミネートされた。05年には再びダルデンヌ作品『ある子供』で主役のブリュノを演じ、好評を博す。そして08年『ロルナの祈り』へも出演、麻薬中毒者の役作りのため15キロも体重を落として役に挑み期待にこたえ、ダルデンヌ作品には欠かせない俳優となる。その他の代表作には、ジョー・ライト監督の『つぐない』(07)、オリヴィエ・アサイヤス監督作『夏時間の庭』(08)、フランソワ・オゾン監督作『しあわせの雨傘』(10)、ダルデンヌ監督作『少年と自転車』(11)、クロード・フランソワの栄光とその知られざる実像を描いた『最後のマイ・ウェイ』(12)などがある。

1983 年6月14日、フランス、パリ生まれ。
フィリップ・ガレルとブリジット・シイの間に生まれる。01年『これが私の肉体』に出演、ジェーン・バーキンと共演した。03 年の『ドリーマーズ』 に主演し国際的にも注目を集める。04 年にフランス国立高等演劇学校を卒業後、クリストフ・オノレ やジャック・ドワイヨンの映画などに出演。幼い頃か ら父の作品に子役として出演していたが、05 年 の『恋人たちの失われた革命』以降、『愛の残像』(08)、『灼熱の肌』(11)、『ジェラシー』(13)と立て続けにフィリップ・ガレル監督作品に主演している。

1985年7月1日、フランス、パリ生まれ。
『アデル、ブルーは熱い色』(13)でカンヌ国際映画祭パルム・ドールに輝く。監督と共に主演女優がパルム・ドールを受賞したのは史上初で、世界中から注目されると共に映画史に名を刻む。セザール賞にノミネートされた『美しいひと』(08)で、最初に注目され、その後、クエンティン・タランティーノ監督の『イングロリアス・バスターズ』(09)、リドリー・スコット監督の『ロビン・フッド』(10)、ウディ・アレン監督の『ミッドナイト・イン・パリ』(11)、トム・クルーズ共演の『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』(11)などで国際的に知られる。ブノワ・ジャコー監督の『マリー・アントワネットに別れをつげて』(12)で、再びセザール賞にノミネートされた他、最近ではウェス・アンダーソン監督の大ヒット作『グランド・ブダペスト・ホテル』(13)にも出演している。その他の作品にレイチェル・ワイズ共演の『THE LOBSTER』(15)、大人気スパイ映画シリーズ最新作『007スペクター』(15)など。

1944年5月29日、オーストリア、バート・イシュル生まれ。
1964年にクラウディア・カルディナーレ主演の『熊座の淡き星影』のロケ地にたまたまギャラリーの一人としていたところ、ルキノ・ヴィスコンティの目に止まり、『華やかな魔女たち』(66)で本格的なスクリーンデビューを果たす。その後もヴィスコンティ作品に多数出演し、強烈なイメージを決定づけ世界中で話題になるなど、美しき男性の象徴的存在に。長きに渡り性格俳優として活躍している。 代表作に、『地獄に堕ちた勇者ども』(69)、『ルートヴィヒ/神々の黄昏』(72)、『サロン・キティ』(76)、『フェイスレス』(88)、『ゴッドファーザーPARTⅢ』(90)、『パガニーニ 愛と狂気のバイオリニスト』(13)などがある。

COLUMN

ディオール、シャネルに続く20世紀最大の「モードの帝王」、イヴ・サンローラン。その生涯は、モードの美神に魂を捧げた栄光と孤独との闘いだった。プルースト、ヴィスコンティのデカダンスに心酔したイヴの繊細な美意識と脆弱な精神、アルコールや薬物依存による狂気をボネロ監督は情け容赦なく壮絶に描き抜いた。

コレクションの一番の話題が、ブランド買収やデザイナーの交代劇となって久しい。いまや投資家のメガビジネスとなったファッションブランドの世界では、デザイナーたちは、華やかな舞台の裏側で、生き残りをかけた過酷なファッションサーキットを闘わねばならない。

私が編集長だった2007年のハーパース・バザー11月号で、当時ルイ・ヴイトンのアーティスティック・ディレクターであったマーク・ジェイコブスが3月のパリコレの後薬物やアルコール依存の治療のため2度目の入院をして復活したことを同じくリハビリ施設から帰還したスーパーモデル、ナオミと明かすUS版記事を掲載したこともある。

マーケティングリサーチ、引用という名のデザインが跋扈する、情報まみれの現代とは全く違う時代に生きたサンローランの創作の歓びと苦悩とはいかなるものだったのか。

21歳の若さでクリスチャン・ディオールの後継者に選ばれ、58年にデビューした彼は華々しい成功を手にするが、徴兵から精神を病み帰還した。61年にピエール・ベルジェとメゾン独立を果たす。公私ともにパートナーであるベルジェがビジネスの環境をすべて引き受け、彼が創作に専念することができたことは幸運であった。

時代も彼を後押しした。パリ「5月革命」が起き、あらゆる既成概念が覆され新しい価値の生まれた60年代の要請を受けるかのように彼が発表した、スモーキング、マリンルック、サファリルック、シースルードレスはまさに衝撃的で革新的なものだった。これらは21世紀の今も繰り返し引用される無敵のスタイルとなっている。またアンディ・ウォーホルに刺激を受けた65年「モンドリアン」66年「ポップ・アート」のコレクションは、アートとモードの融合だった。左岸にオープンした初めてのプレタポルテの店「リヴ・ゴーシュ」には、ポップアートドレスが並び、ドヌーヴは映画「昼顔」でデザインしたようなミリタリー調のコートで現れた。

男物仕立てのスモーキングは、66年の発表以来さまざまに形や素材を変え作り続けられた。「自分の作った服の中からどれか1着をと言われたら、迷わずスモーキングを選ぶ」とサンローランは語っている。女性のパンツスタイルがタブーであった時代に、スモーキングは見事に女性たちに自由と自信を与えた。この映画の中では、夜の舗道に佇むモデルをヘルムート・ニュートンが官能的に撮影する場面も盛り込まれている。今も色あせる事のないマスキュリン・フェミニンスタイルの登場だった。

彼は、男性用香水の広告のため気鋭の写真家ジャン・ルー・シーフにヌードでの撮影を依頼し、眼鏡以外何一つ身に着けない広告は大きなスキャンダルとなり初めてデザイナー自身が“ブランドのアイコン”になった。

80年代以降、ゴルティエ、川久保玲などが登場し、西洋の伝統的な美の概念を打ち壊した中でサンローランの服は過去の遺物のように古臭く見えるようになった。しかし私の見たサンローランのオートクチュールは、手仕事の粋を尽くした別格の美の世界だった。溢れんばかりの薔薇の生花で装飾されたインターコンチネンタルホテルの豪華な会場で繰り広げられた芸術的な作品の数々、そしてフィナーレに登場したサンローランの姿は背中を丸め、歪んだ笑顔をふりまく純粋無垢な美の殉教者だった。鳥肌が立ち、涙が止まらなかった。観客は総立ちになった。

映画の中でオートクチュールの職人芸を丁寧に再現した、76年「バレエリュス」へオマージュを捧げたコレクションは、エキゾティシズムを取り入れた大胆な色彩や斬新なデザインで最高の賛辞を得た。しかしその後の彼には、常に「死亡説」が囁かれるようになってしまう。イヴ・サンローランは「生きた伝説」になってしまったのだ。

晩年のサンローランを演じるのが往年のヴィスコンティ俳優、ヘルムート・バーガーであることにも戦慄を覚えた。

「イヴ・サンローラン」は、2013年時代の寵児であるエディ・スリマンに引き継がれ、その膨大なアーカイブから彼の時代感覚で解釈した新作を“サンローラン・パリ”と変更して発表し、ブランドの人気を再燃させている。

アデュー、ムッシュサンローラン。あなたの偉大なスタイルは永遠に生き続けます。

村上 啓子
編集ディレクター(SPUR,VOGUE Japan,Harper’sBAZAAR編集長を歴任)